sugukesu’s diary

かまくらの中は温かい

『夢じゃない』と、ゆり組と

久しぶりにSnowMan×スピッツの話をしたくなって書き始めました。せっかくなので半年前に書いたブログも公開に戻します。

 

ところで、

ゆり組って夏の季語ですよね?

オタクの歳時記にはおそらく載っていた気がするのですが…

夏といえばゆり組、ゆり組と言えば夏、ということで今回はゆり組のイメソンの一つである『夢じゃない』について考えてみたいと思います。

 

 

1.ブログまでの経緯

私が『夢じゃない』をゆり組と重ねて考えるようになったのは、フォロワーが『夢じゃない』をゆり組のイメソンに挙げたのを見て、それそれ!!分かる!!と思ったことがきっかけです。でもよく考えたらなぜ自分が それそれ!分かる!!となったのが分からず… この段階では感覚の話であり、言語化することはできませんでした。今回はこの感覚の源となる歌詞やメロディ、ゆり組の二人についてじっくりと辿ることで何か得られるものがあるのではないかと期待し、拙い文ではありますが自分なりの考えについて書いていけたらと思います。

※前回以上にあくまで一個人のイメージという要素が強いです。そのため、ゆり組は絶対こう!と決めつけるものでは決してありません。

 

 

2.『夢じゃない』大枠

歌詞について細かく見る前に、私の中での『夢じゃない』について少しだけ話させてください。ここでの『夢じゃない』×ゆり組は、個人の思い出による結び付けなので飛ばしても構いません。

『夢じゃない』は1997年に放送されていた「ふたり」というドラマの主題歌になっていました。幼かった頃の私は「ふたり」のCMでそのメロディを聞く度にテレビに釘付けになっていたのを覚えています。これは個人の郷愁であって世間一般に当てはまるかと言ったら違うと思いますが、この思い出もあって『夢じゃない』を聞くといつも懐かしくてほんの少し寂しい気持ちになります。確かこの「ふたり」というドラマは赤川次郎さんの同名の小説が原作になっていて、姉妹の物語なんですよね。主人公である妹と、事故死してしまったお姉ちゃんのお話です。スピッツの『夢じゃない』の綺麗で寂しげなメロディと、この幼い時の記憶により、私の中で『夢じゃない』=少し寂しい気持ちにさせるノスタルジックな曲 として大人になった今でも大切な1曲として心に残っています。

私の中で『夢じゃない』の基盤が上記のように出来上がっていたところに、なぜゆり組のイメージが重なってきたのか。ポイントは2つあると思います。

 

◆「ふたり」という言葉

シンメは二人であることが前提ですし当たり前かもしれませんが、ゆり組はこの二人という要素がものすごく強いと感じています。生まれた病院から人生を懸けてる現在のグループまでずっと一緒の道を歩んできた幼なじみって、この世界中探してももしかしたらゆり組しかいないかもしれませんよね。

私の中で『夢じゃない』「ふたり」という言葉のセットの中に、唯一無二の幼なじみであるゆり組のイメージがパチっと当てはまった感覚です。

 

◆幼なじみという郷愁

ゆり組を語る上で幼なじみというキーワードは外せませんよね。生まれた病院が同じ、幼稚園のクラスが同じ、習い事のダンススクールが同じなど、幼なじみとしての‘’懐かしい‘’話題に事欠かないゆり組。渡辺くんや宮舘くんの話を聞きながら昔の二人について想像すると、第三者である私達も何だかその時代にタイムスリップしたかのような気持ちになりますよね。

『夢じゃない』は私にとって幼い頃の空気感や記憶の中の色、温度などを思い出すノスタルジックな曲です。セピア色(流石にそこまで昔じゃありませんが)のイメージが広がるこの曲と、二人にしか分からない幼い頃の思い出をたくさん心に秘めたゆり組、郷愁が二人を包み込むというイメージが私の中では強いのかもしれません。

 

この2つのポイントがイメージの大枠となるのですが、次の項目からは歌詞を引用しながら言葉を細分化し『夢じゃない』×ゆり組について考えていきたいと思います。

 

 

3.歌詞について

スピッツ 夢じゃない 歌詞 - 歌ネット

 

あくまでイメソンであり、草野マサムネさんの作品であり、本来ゆり組と関係するものではありません(当たり前すぎる)また、できる限りオタクとしての思想は最小限にとどめたいと思っています。(イメソンって楽しいですけど難しい議題ですよね)

あまり考えすぎると虚妄になってしまいそうでそれは避けたいな〜と思ったので今回はとりあえず1番までの考察で終了したいと思います。

 

 

暖かい場所を探し泳いでた

最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた

「暖かい場所を探し泳いでた」ということは、極端に考えるとその前は冷たい場所で、目的とする場所が見つからない状態だったということですよね。泳ぐという表現から何処と無く不安な状態を漂うイメージが浮かびます。そこから「最後の離島」である「暖かい場所」が見つかったのでしょうか。「最後の離島」という言葉の羅列から、閉ざされた場所での二人というイメージが膨らみます。暖かい場所に行き着いたことによる不安からの解放、閉ざされた離島という空間、その流れを汲んで「君を見つめていた」と繋がることにより、穏やかな眼差しで佇む画を想像することが出来ると思います。

渡辺くんと宮舘くんって、周りが「ゆり組!!」って熱くなる割に良い意味で冷静というか、一緒にいるのが当たり前という落ち着いた空気感がありますよね。だからこの歌詞でいう「見つめる」というのも、イメージされる眼差しは柔らかなもののような気がします。でも2回繰り返すことにより、「見つめていた」というそこにある事実を‘’流さない‘’という強調の意思も付け加えられるなと思いました。(この意志は草野マサムネさんによるものだと思いますが)

 

同じリズムで揺れてたブランコで

あくびしそうな

君を見つめていた 君を見つめていた

「同じリズム」というのは隣同士で漕いでいるブランコがだんだんリズムが合っていく時に見られるあの光景でしょうか。ブランコという言葉から幼い子どものイメージが浮かび上がりますね。でも案外ブランコって大人になっても懐かしい気持ちに駆られて漕いでしまうものですよね。ゆり組の二人も幼い頃共にブランコを漕いだ思い出があるかもしれませんね。もしくは高校生や大人になった頃に友達とふざけて漕いでみたとか。「あくびしそうな」とあることで単調な揺れ、スピードのある急な揺れではなくもっと穏やかな揺れが感じられます。先程も述べましたが、個人的にゆり組の空気感は穏やかなもの、正に‘’空気と同じ‘’と称されるものだと思っています。当たり前のように隣にいる存在って、いつかの雑誌のインタビューでも話されていましたよね。

そしてここでも「君を見つめていた」という言葉が繰り返されます。最初の「暖かい場所を〜」の歌詞は抽象度が高く概念的なものになっていますが、この「同じリズムで〜」からの歌詞はだいぶ具体的な場面となっていますよね。そのため「君を見つめていた」という言葉もより鮮明な画で聞き手にイメージされるような気がします。隣にいるのが当たり前というゆり組に当てはめて考えてみると、わざわざ見つめているというよりは、何気なく見るというニュアンスの方が近いような気がします。歌詞に戻ると、「揺れてたブランコ」「あくびしそうな」というゆったりとした空気の流れからも、「君を見つめていた」というのは何気なく見ていた、ぼーっと見ていた、という受け取り方がここではより適しているのではないかと考えました。

 

夢じゃない 弧りじゃない 君がそばにいる限り

いびつな力で 守りたい どこまでも

ここでいう「夢」とは何なのだろうと思いました。夢(ゆめ)の意味 - goo国語辞書

現実から離れた空想、もしくは儚いこと、といった解釈が個人的には近いのではないかと感じています。「夢じゃない 弧りじゃない」と静かに力強く歌われることによってここにいる自分と君という存在がより強固なものになりますよね。「そばにいる」という言葉に繋がり、隣合う二人のイメージが確立されていきます。厳密に言えば「そば」というのは隣じゃなくても成り立つと思うのですが、今回ゆり組のイメソンとして重ねて聞くとやはりという印象が強い気がします。どちらがぐいぐいと前に出るわけでなく、引き下がるわけでもなく、ただ自然に隣同士並んで歩んできたというイメージがゆり組にはあります。

次に、「いびつ」という言葉について確認したいと思います。歪/飯櫃(いびつ)の意味 - goo国語辞書

ほんの少し歪んだ力が働くということは、人間関係ではよくあることだと思います。真正面からぶつかり合う関係というより、意識するが故に微妙な距離があったり、離れたり近づいたりを繰り返しながら今まで幼なじみという関係が続いてきた二人のことを考えると、「いびつな力で 守りたい どこまでも」という歌詞も遠くないと思えてきました。直球勝負がいつでも正しいわけではないってことかもしれません。「いびつな力」が働いたとも取れる表面に現れる微細な変化はありつつも、心の中ではいつだって同じ方向を向いている。そしてそれは言わなくても分かっている。そんなことをこの歌詞とゆり組のことを思いながら考えることができました。

 

4.最後に

最初は何となくのイメージから始まったこの話題でしたが、なぜ、自分がそのように感じるのかということを探っていくことで以前よりもその理由を言葉にして話せるようになった気がします。言葉にする作業って地道でつらい時もあるのですが、(自分で勝手に始めたくせに何言ってるんだという話ですが)書くことを通して自分の中でのモヤモヤとした考えをまとめる作業は、例えるならぐちゃぐちゃの泥団子を少しずつ磨いてピカピカにしていくあの工程に近いんですよね。だからやっぱりブログにしてまとめるのは楽しいです。ただ、自分が楽しいだけで好きな楽曲やアーティストを傷つけたり汚したり失礼なことをしてしまったりすることは絶対にあってはならないので、今後もその点をきちんと考えながらブログを更新することが出来たらと思います。また何か話したくなったら書きます。ここまでお付き合い頂きありがとうございました。